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プロ野球外国人列伝|活躍した選手は?年俸は?

1936年にリーグ戦が始まった日本プロ野球。様々な選手が活躍してきましたがそんな中、日本を活躍の舞台として選びプレーした外国人選手も多数。本記事では外国人選手にスポットライトを当て、日本プロ野球界を振り返りましょう。

まとめ

  • 最多試合出場数はラミレス(ヤクルト他)の1744試合
  • 最多本塁打数はローズ(近鉄他)の464本
  • 過去最高額年俸はペタジーニ(巨人)の7億2000万円
  • 「神のお告げがあった」という理由で帰国したグリーンウェル選手

外国人枠-登録できる人数は?

日本プロ野球(NPB)では、"外国人枠"というものが設定されており、各球団出場可能な外国人選手の人数が定められております。意外と知らない"外国人枠"のルールについてみていきましょう。

【外国人枠】:投手・野手合わせて4名まで1軍登録可能

※4名とも投手または野手という登録は不可

パターン① 投手2名、野手2名

パターン② 投手1名、野手3名

パターン③ 投手3名、野手1名

外国人枠対象外とは?

外国籍の選手であっても、下記条件を満たしていれば日本人選手としての扱いとなり、外国人枠が1つ空くという状態になります。

【①】プロ野球選手になる前に、日本の中学・高校・短期大学・専門学校に通算3年以上在籍している。

※陽岱鋼(巨人):台湾出身。福岡第一高校に3年間在籍。

【②】プロ野球選手になる前に、日本の大学に継続して4年以上在籍している。

※大豊泰昭(中日):台湾出身。名古屋商科大学卒業後、中日球団職員として1年間在籍。

【③】プロ野球選手になる前に、日本に5年以上居住&社会人野球チームに通算3年以上在籍している。

※玉木重雄(広島):ブラジル出身。三菱自動車川崎で5年間プレー。

【④】プロ野球選手になった後、日本のプロ野球でフリーエージェント(FA権)を獲得。(ただし、適応はFA権取得の翌年から)

※ラミレス(ヤクルト他):ベネズエラ出身。日本で13年間プレー。

【⑤】①と②の項目で、必要年数に達しないまま外国人としてプロ野球選手になった後、それらの学校の在学期間と日本のプロ野球の在籍期間が合計5年以上経過した。

【その他】日本に帰化して日本人となった場合

※郭源治(中日):1989年に帰化。

外国人選手通算記録ランキング

ここからは、日本通算記録をランキング形式で紹介していきます。みなさんの記憶に残る選手の名前は出てくるでしょうか。各項目ごとにトップ3にランクインした選手を紹介します。

試合数

選手名所属試合数
第1位A・ラミレスヤクルト・巨人・DeNA1744
第2位T・ローズ近鉄・巨人・オリックス1674
第3位R・バルボン阪急・近鉄1353

勝利数

選手名所属勝利数
第1位V・スタルヒン巨人・パシフィック・金星・高橋303
第2位郭泰源西武117
第3位郭源治中日106

セーブ数

選手名所属セーブ数
第1位D・サファテ広島・西武・ソフトバンク234
第2位M・クルーン横浜・巨人177
第3位林昌勇ヤクルト128

安打数

選手名所属安打数
第1位A・ラミレスヤクルト・巨人・DeNA2017
第2位T・ローズ近鉄・巨人・オリックス1792
第3位L・リーロッテ1579

ホームラン数

選手名所属ホームラン数
第1位T・ローズ近鉄・巨人・オリックス464
第2位A・ラミレスヤクルト・巨人・DeNA380
第3位A・カブレラ西武・オリックス・ソフトバンク357

最後に個人的に大好きな映像をどうぞ!!

年俸ランキング

日本プロ野球ではこれまで、メジャーで活躍していたビッグネームや、圧倒的な成績を収める素晴らしい外国人選手が活躍してきました。では彼らの年俸はどうだったのでしょうか。年俸ランキングをご紹介します。

選手名所属年俸
第1位R・ペタジーニ巨人(2003~2004)7億2000万円
第2位李承燁巨人(2007~2010)6億円
第2位T・ウッズ中日(2007~2008)6億円
第2位A・カブレラ西武(2006~2007)6億円
第5位T・ローズ巨人(2004~2005)5億5000万円
第6位W・バレンティンソフトバンク(2020)5億円
第6位E・メヒア西武(2017~2019)5億円
第6位D・サファテソフトバンク(2016~2018)5億円
第6位A・ラミレス巨人(2008~2011)5億円

ちなみに日本プロ野球歴代最高年俸は、田中将大投手(楽天)の9億円です。

衝撃の退団理由。。。

大活躍した選手がいる一方で、活躍できず早々に退団した選手も多いのが外国人選手。その退団理由もバラエティに富んでいます。特に衝撃の退団理由であった選手を紹介します。

■S・レスカーノ(大洋)

メジャーリーグ通算1,122安打の成績を収め、1987年に大洋ホエールズに入団。5月には22打席連続無安打と不振に陥り、「140キロの速球が怖くなった」とメジャーリーガーらしからぬコメントを残し現役引退を表明。わずか20試合の出場にとどまり退団しました。

■D・マネー(近鉄)

メジャーリーグオールスターゲーム出場経験の持ち主が、1984年近鉄バファローズに入団。家族とともに神戸で生活していたが、周りに英語を話せる人がいなかったことや、球場や自宅にゴキブリが大量に出たことなどから家族がホームシックになってしまった。家族を守るため退団を申し出、たった1か月で帰国してしまった。

■M・グリーンウェル(阪神)

12年間ボストン・レッドソックスでプレーし、通算1,400安打を放っていた「ミスターレッドソックス」が、鳴り物入りで1997年阪神タイガースに入団。しかし、5月に自打球で右足甲を骨折してしまう。その後球団に引退を申し出て、引退会見では「野球をやめろという神のお告げがあった」とコメントを残し帰国。なんと出場試合数はたった7試合となった。

良いも悪いもインパクトのある外国人選手

日本プロ野球の歴史を振り返ると、インパクトのあった外国人選手が多くプレーしていたことが明らかになります。ファンの記憶に残る選手、日本球界に偉大な記録を残す選手、そして日本人には理解できない感覚の選手など...。

私個人的には、記録ランキングに何度も登場する、ラミレス選手やローズ選手が特に印象深い選手です。"ゲッツ"のパフォーマンスや、独特なローズ選手のバッティングフォームなど。

これから、過去の記録を塗り替える外国人選手が現れるのか。はたまた、記録以外の一面で話題になる外国人選手が現れるのかとても楽しみです。

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